仕事が入る場合、ソーニャは前日の晩に電話で指示を受ける。
対象と、必要があればその場所。
見せしめが目的でもない限り、始末の方法は一任される。
事故死や自殺に見せかけるのが一番手っ取り早いが、仮に直接手にかけるとしても、
死体は決して発見されぬように遺棄をする、つまり世間的には『失踪』扱いされるのが望ましい。

「…はい。…はい。…はい」

用件のみが伝えられ、ソーニャはただ「はい」と答えるのみ。
それ以外の言葉を発する必要など無いからだ。
生身の人間が声を使ってやり取りしてはいるものの、実質的には文章で指示を受けるのと変わらない。
だが、この日ソーニャは初めて、電話の相手に向かって「なぜですか?」と問い掛けた。
自分が受けた指示はもちろん理解したが、心情の部分で半ば反射的にそう言ってしまったのだ。

「おまえがそれを知る必要は無い」

鼻で笑われ、電話はブツリと切られた。

当たり前の事である。
ソーニャは殺し屋で、組織の指示通りに殺すことだけを求められている。
仔細を知る立場になど無い。

「…くそうぅっ!!」

ソーニャは電話を壁に投げつけた。
はじめからすべて仕組まれていたのだ。
惨めな気分がした。

「そういうことだったのか…!全ては、このために…!」

殺し屋である自分が、なぜ普通に学校に通っているのか。
いや自分だけではない、同じ組織に所属するあぎりまでもが、だ。

「あぎりは保険というわけか…!ちくしょうっ!
なんで今まで気付かなかったんだ!ちくしょうっ!!ちくしょうっ!!」

今ごろあぎりも電話で指示を受けている。
ソーニャはやり場の無い感情をぶつけるように、床を何度も拳で殴った。

「はぁっ…はぁっ…はぁっ…」

顔を高潮させ、息を切らすソーニャの頬を、汗の粒が流れる。

「私が…やすなを…殺すのか…?」

ソーニャは自問し、拳を広げた。
この手は既に、穢れている。
いまさら、それを恐れているわけではない。

やすなを始末するのは、きっと造作も無いだろう。
今までで一番簡単な仕事かもしれない。

「だが、あいつは…」

彼女は友達なのだ。

いつも自分のことを『友達』だと言ってくれるやすなのことを、
ソーニャも心の中では、『友達』だと思っていた。

バカで、うっとうしくて、イライラさせられてばかりだけれど、
やすなはソーニャの、唯一の友達なのだ。

「こんなことになるのなら、あいつと親しくならなければ良かったな…」

ソーニャは床に座り込み、明かりの当たっていない部屋の隅に生じた暗闇を虚ろな瞳で凝視しながら、
これまでの楽しかった日々をひたすら思い返した。
時間の猶予は、なかった。

翌朝、目の下にクマを作ったソーニャは、力の無い足どりで家を出て、学校を目指した。
そして途中、いつもやすなが声をかけてくるあたりで、後ろ向きになって彼女を待った。
五分も経たないうちに、やすなの姿が見えた。

ソーニャに気が付くと、彼女は目をキラキラさせながら全力で走ってきた。

「ソーニャちゃん!私のこと、待っててくれたの?!」
「…まぁな」
「嬉しいー!じゃあ、一緒に学校行こ!」
「…いや、今日は違うんだ。ちょっと用があるから、来てくれないか」
「え、いいけど、なになにー?うふふ」

ソーニャが学校とは別の方向を指差して歩き出すと、やすなは楽しそうに付いてきた。
遅刻のことなど全く気にしないやすなの無邪気な反応が、ソーニャの心をズキズキと痛ませた。
懐に隠し持つ拳銃は、普段より何倍も、何十倍も重たく感じられた。

「ねえ、ソーニャちゃん。どこまで行くの?」
「…公園」
「あー、ここかあ」

二人で何度か訪れた場所。
午前の早い時間帯だから、人気は無い。
その条件だけで、十分だった。

やすなを助けることは出来ない。
仮に自分が逃げ出したとしても、あぎりがやすなを殺すだけだ。
そして、裏切った自分の始末も、あぎりは指示されているに違いない。

やすなが死んでしまって、別に生きたいとは、ソーニャは思わなかった。
だからせめて、やすなを自分の手で殺して、すぐに後を追うつもりだった。

ソーニャはベンチの後ろの草むらにやすなを連れ込み、拳銃を取り出した。

「あれ、ソーニャちゃん、なんでピストルなんて出すの?」

やすなはまだ笑顔を浮かべている。
だが、ソーニャが無言で銃口に消音装置を取り付けていくうちに、徐々に笑顔が消えていった。

「…うそ、でしょ?」

完成した拳銃を顔に向けられると、やすなの表情が凍りついた。
これが冗談ではないことは、ソーニャの鬼のような形相を見れば、
さすがのやすなでも、瞬時に理解できた。
ソーニャは、人を殺す目をしていた。

「…すまない」

絞り出すようにして、ソーニャは一言、発した。

「え、だって、ソーニャちゃんが、なんで私を…」

やすなはうろたえた。

「…分からない」
「分からない?私だって、ぜんぜん分からないよ…どうして、急に…」
「…仕事、なんだ」
「そ、そんな…や、やだ、私…きゃっ?!」

数歩後ずさったやすなが、そこでつまずき尻餅をついた。
ソーニャは銃口をやすなの顔に向け続けた。

「お、お願い、ソーニャちゃん、私、まだ死にたくないよ…お願い、助けて…」

腰を抜かしたやすなは、状況も分からぬまま顔の前で手を組み、懸命に命乞いをはじめた。

「…それは無理なんだ!!」
「ひぃっ?!」

自らに言い聞かせるようにソーニャが叫ぶと、
やすなは悲鳴を飲み込み、それっきり何も言えなくなった。
ただ、奥歯が鳴って、カチカチと音がした。

「くっ…!」

まるで自分の歯が鳴っているように錯覚したソーニャは、奥歯をきつく噛み締めた。
しかし実際に、銃を持つ右手は震えていた。
止めようと左手も添えたが、やはり震えは収まらない。
ならばそれでも構わぬと、引き金に指をかけた。
しかし、動かない。
安全装置がかかっているのかと思うほど、重たい。

「くそぅ…!」

ソーニャは左手の人差し指も引き金にかけ、二本指で引こうとした。
通常プロならば絶対に行わない、まるで素人のやり方。
けれども、冷たくなった指先からはとっくに感覚が失われ、
力を入れれば入れようとするほど、ただ腕の震えが大きくなるだけだった。

「ソーニャちゃん…」

恐る恐る、やすなが名前を呼んだ。
拳銃を必死で握り締めるソーニャは、
それがまるで鋭利な刃物で、指を骨までえぐられているように、苦悶していたからだ。
鬼のような顔では、とうになくなっていた。
ソーニャはいつものソーニャの顔で、ただひたすら、苦痛で歪んでいた。

「…出来ない。…私には、やすなを殺せない…」

哀れんでいるような、優しい声で名前を呼ばれ、
ソーニャの緊張の糸が、ぷつりと途切れた。
銃を保持できなくなり、両腕をだらりと下げた。
ソーニャは初めて、仕事に失敗した。

「ふ…ふふふ…」

するとソーニャは壊れてしまったような笑みをこぼし、天を仰いだ。
やすなが再び怯えて、身構えた。
ソーニャには、これから起きることが、分かっていた。
確実に、自分が予想していた通りのことが、起きるのだと。

「裏切りは許されませんよー、ソーニャ?」

その時、背後から声がした。

「ああ、分かっている」

ソーニャは振り向かずに答えた。
ベンチの影からぬーっとあぎりが姿を現した。

「なあ…おまえは…平気なのか…?」

弱々しく後ろを向くソーニャに、あぎりはいつもと変わらぬとぼけた調子で、

「まぁ、それがお仕事ですしー」

と冷徹に言い放った。

「そうか…」

ソーニャには、残酷な彼女を非難する気力も、残っていなかった。
心の中は、やすなが死ぬのを見たくないという、ただそれだけだった。

あぎりが、こちらに近づいてくる。

「あぎり…」
「なんですかー?」
「私は…自分の始末は、自分でつける…
ただ一つだけ、頼みを聞いてくれないか…」
「はぁ。なんでしょう?」
「刃物は、使わないでやってくれ…。銃を…私のこの銃を使って、 確実に、頭に一発…。絶対に、苦しまないように…
それだけを、頼む…」
「いいでしょう。分かりましたー」
「ありがとう…」

遺言を伝えたソーニャは満足して、やすなのほうを向き、地面に膝を付いた。

「ソーニャ、ちゃん…?」

二人のやり取りを理解できなかったやすなは、不安そうに首をかしげた。

「許してくれ…やすな…」

ソーニャはそう言うと、銃を持つ右手をゆっくり持ち上げ、
引き金に指をかけながら、自らのこめかみに押し当てた。

「やだ、何するの、ソ、ソーニャちゃん?!」
「ごめん…」

ソーニャは目を閉じ指先に力を込めた。
目尻から涙が流れ出した。
先ほどはあれほど重くて引けなかった引き金が、今度は簡単に、動いた。

「やめて、やめて、ソーニャちゃんっ!ソーニャちゃんっ!!!」

やすなの絶叫が遠くで聞こえた。

だが、弾は発射されなかった。
撃鉄が落ちる鋭い金属音だけが響いた。

「弾はここにありますよ〜」

ソーニャのすぐ後ろで、あぎりがそう言った。
彼女はポケットから手を出し、ソーニャの前に回り込むと、顔の前で手のひらを広げて見せた。
まるで手品のように、拳銃の弾がコロコロと乗せられていた。

まぶたを上げたソーニャは、そのまま目を大きく見開いた。
やすなも、絶叫した口を広げたまま、唖然とした。

「エヘヘ」

あぎりは照れ笑いしながら、

「実はさっき、こっそり抜いておいたんですー」

とおどけてみせた。

「な、なぜだ、あぎり…?」

ソーニャの手から銃が落ち、辛うじてあごを動かし、尋ねた。

「ソーニャの気持ちを、確かめたかったんです」

弾をポケットに戻すと、あぎりは代わりにハンカチを取り出してかがみ、
ソーニャの涙と、やすなの鼻水を、交互に拭った。

それから「他に方法がなかったとはいえ、二人とも、ごめんなさい」と詫びた。

「…私、もう殺されないの?」
「はい、だいじょうぶです」

あぎりが微笑むと、やすなは目をうるうるとさせた。
青ざめていた顔に、みるみる血の気が戻っていった。
あぎりは、そっとやすなを抱き寄せ、自分の胸に顔をうずめさせた。

放心していたソーニャは、自分が拳銃を落としてしまったことを思い出し、おもむろにそれを拾い上げた。
ソーニャは普段、仕事の道具である拳銃をとても大切にし、手入れをしてきた。

「ソーニャ、これ」

あぎりが弾をソーニャに渡した。
受け取って、空の弾倉に一つずつ詰め直すと、ソーニャは生気を取り戻していくようだった。

あぎりはやすなを抱いたまま、言った。

「三人で、一緒に逃げましょう?実は私、とっておきの隠れ家があるんですよー。
もちろん、組織にも知られていません。そこに逃げれば、きっと大丈夫です」
「ほ、本当ですか?」

やすなが顔を上げた。
それはソーニャにとっても、思いもよらぬ素晴らしい提案だった。

「あ、でも・・・組織から本当に逃げられるんですか、あぎりさん…?」

希望に明るくなりかけたやすなの顔が、不安で曇る。

「まあ、私たちの所属する組織は、いわゆる『政府系』ではありませんからねー。
現実として、けっこう限界があると思うんですよー。
それに私達は日ごろから、色々と恨みを買っている同業者に狙われているわけですから、
そう考えれば、状況は今までと特に変わらないとも言えるかと。
今さら敵が一つ増えたところで、ねー、ソーニャ?」
「あ、ああ…」

ソーニャも会話に加わった。

「私もあぎりも、自分の身を守る術は十分過ぎるほど備えている…。
二人がいれば、やすなのことも、十分に守っていけると思う…」

失いかけた自信を取り戻すように、確かめるように、ソーニャは静かな口調で述べた。
その言葉に、やすなはうなずいた。

「そっか。うん…。じゃあ、そうしよ?なんだかよく分かんないけど、
みんなで、逃げちゃおうよ?あぎりさんもソーニャちゃんも、殺し屋なんてもうやめて、
どこか知らない場所に行って、ぜんぜん違う人になっちゃうの。
きっとうまくいくよ。ねえ、そうしよう?」
「…そうだな。そんなふうに出来たら、いいな…」
「はい、でわ、決まりですねー」

ポンと手を叩いてあぎりが立ち上がり、両手をそれぞれに差し伸べた。
二人はそれを握って立ち上がった。

あぎりとソーニャは組織を裏切り、
彼女たちがその日、殺すはずだったやすなと共に、町から姿を消した。

あぎりの隠れ家は、片田舎にあった。
三人で生活するには十分すぎるほどの立派な古民家で、庭というか、畑まで付いていた。
時々、あぎりが忍術修行で篭る際に利用していたそうで、
掃除もきちんとされていて、最低限の生活用品や食料も備蓄されていた。

やすなは表向き『家出』を装い、両親に宛てて手紙を残してきた。
もう二度と会えないとしても、あまり悲しくはなかった。
きっと愛されていたはずだけれど、それを実感したことは無く、
またやすな自身も、家族への愛情を実感したことはなかった。
だから失うとしても、さほど怖くなかった。
それよりも、ソーニャを失うことのほうが、やすなにとってはよほど怖かった。

あぎりもソーニャも仕事によってそこそこの貯蓄があったので、当座の生活に困ることはなかった。
とは言えそれでは先が続かないので、
あぎりはなぜか”つて”があるというどこぞの『忍者村』に勤めることにした。
やすなも街のコンビニでバイトをし、生活費の足しを稼いだ。
金髪碧眼のソーニャは田舎だとことさら目立ってしまうので、
力もあることだし、昼間は家のことや、畑仕事をして過ごした。
そうして日が暮れ、夜は三人一緒に夕食を囲み、また朝が来て、おだやかに毎日が過ぎていった。

まったく新しい生活だったが、ソーニャはずっと以前から、
自分がこうして暮らしていたように、とても居心地が良かった。
組織が果たして刺客を放ったのか、あぎりが調べた限り証拠は得られなかったが、
かつての同業者の襲撃を受けることもなく、平和な日々だった。

そうして数ヶ月が過ぎ、新しい年になり、桜の季節が近づいてきた。
夕食の仕込みを終えたソーニャは、バイトから帰ってきたやすなと一緒に縁側に座り、
山の向こう側に沈んでゆく夕日を眺めながら、あぎりの帰りを待っていた。

「…なあ、やすな」
「なぁに、ソーニャちゃん?」
「あの日…桜の木の下で、二人でお花見したこと、覚えてるか?」
「もちろん覚えてるよ。だって、つい去年のことだもん」
「そう…だったかな…」
「やだな、ソーニャちゃんったら年寄りみたい〜」
「茶化すなよ…」

笑うやすなと、少しむくれたソーニャの顔が、夕日で染まる。

「やすな…」

ソーニャの優しい声と、不意に手に感じる、ぷにっとした温かい感触。

「え…?」

やすなが驚いて隣を見た。
ソーニャの手が、自分の手に重ねられていた。

「いつまでも、私のそばにいてくれ、やすな。
あの時は言えなかったけれど、今は心から、そう思うんだ。
ずっとずっと、いつまでも一緒にいよう」
「ソーニャちゃん…」

やすなの目から、涙が溢れて止まらなくなった。

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