(感じる…イカちゃんの視線を感じるわっ…)
早苗は今までにない胸の高鳴りを覚えていた。
(イカちゃんが、私のことを見ている…っ!)
普段なら滅多に目を合わせてくれないはずのイカ娘が、今日はなぜか、早苗を見ていた。
何か気になるという様子で、たびたび視線を送っていた。
(イカちゃん…私に告白してくれるのかしら…)
いよいよ真面目にそんなことを考えながら、イカ娘を目で追う早苗。
すると、イカ娘が早苗のほうへ近づいてきた。
(え?え?イカちゃん、本当なの?!)
既に十分早くなっていた早苗の鼓動が、さらに加速する。
イカ娘は触手を伸ばして、早苗の肩をトントンと触った。
「なあ、早苗」
「は、はいーっ!!」
気を付けの姿勢で緊張する早苗。
「今日の早苗は、良い匂いがするでゲソね」
そう言うと、イカ娘はニコッと笑った。
「えっ?!」
予想していた言葉とは違ったが、早苗の表情はすぐに喜びで明るくなった。
「良い匂いがする」と言われて嫌な気持ちになどなるはずがない。
それに、思い当たる理由もあったのだ。
早苗は昨晩、リンスを新しくしていた。
(イカちゃん…私のことをそこまで思ってくれていたんだ…)
早苗はすっかり舞い上がってしまった。
だが、イカ娘の次の一言で「良い匂い」という言葉の真意を知らされる早苗は、
天国に向かって上昇をはじめていたところを、一気に地獄まで叩き落とされることになった。
「…早苗のお口は、エビの匂いがするでゲソ」
「え゛、え゛び?!」
(やだ、私…!!)
早苗は口を両手で押さえ、後ずさりした。
原因は、すぐに思い浮かんだ。
(さっきおやつに…かっぱえびせん食べたから…)
野生の動物は、食べ物の匂いには敏感だ。
人間では気が付かない程度でも、すぐに察知する。
早苗の顔は真っ赤になった。
好きな人に口の匂いを指摘されるなど、
普通なら寝込んでしまうほどショックな出来事のはずだったが、
しかし早苗は混乱していた。
なぜなら、イカ娘はむしろ好意的なのだ。
(死にたいくらい恥ずかしいよぉ…ああでも、これってもしかして喜んでいいことなの…?!)
かつてないほどのチャンスが到来したのではないか。
早苗は恥ずかしさをこらえながら、
自分がこのあとどう反応するべきかを、短時間のうちに必死に考えた。
頭から湯気が出るほど高速で演算した果てに、早苗は口を開いた。
「…わ、私とチュウすると、もっとおいしいエビの味がするのよ?」
「本当でゲソか?!」
イカ娘は目をキラキラと輝かせた。
(え〜〜〜??!!)
驚いたのは早苗のほうだった。
まさか、こんなに簡単に食い付いてくれるなんて。
「じゃ、じゃあ、私とチュウしてみる、イカちゃん?」
「うんっ!するでゲソっ!」
今までと同じように訳もなくキスを迫るだけだったら、イカ娘は拒絶しただろう。
しかし、今回は大好物のエビという動機がある。
そうなればイカ娘にとっては、逆にキスを拒絶する理由がなくなる。
このあたりの素直さは、人間ではあり得ない、イカだからこそ持ち合わせているものだった。
早苗は興奮のあまり小鼻を膨らませながら、周囲を見回した。
今すぐイカ娘を抱きしめてキスしたい衝動に駆られていたが、さすがにここでするのはまずい。
「…イカちゃん、あっちでチュウしよっか?」
「ゲソゲソ〜」
期待で上機嫌になっているイカ娘を、早苗は店の裏へと連れて行った。
(ど、どうしよう、こんなに簡単に話がまとまっちゃうなんて…)
「いずれは」と夢見ていたことではあったが、まさがそれが「今」になるとは。
「…どうしたんだ、早苗?早くしなイカ?」
胸を押さえて呼吸を整える早苗の背中に、イカ娘が声をかける。
(あぁ…イカちゃんにチュウをせがまれるシチュエーション…)
早苗は向き直り、イカ娘を見つめた。
「ほ、本当にいいの?」
「チュウしたらおいしいエビの味がするって言ったのは、早苗じゃなイカ」
「そ、それは間違いないんだけどね…」
騙してはいないし、嘘もついてない。
そしてイカ娘は完全に同意している。
もう何の問題も残されていない。
「…イカちゃん、チュウするよ?」
早苗が告げると、イカ娘は黙って目を閉じ、顔を上に向けた。
早苗は腰を屈め、イカ娘の肩に両手を置き、顔を近づけた。
早苗は唇を突き出したが、イカ娘はうっすらと下の歯が見えるくらい、口が少し開いたままだった。
(イカちゃん、あんまり分かっていないんだね、キスのこと…でも、私も同じだよ…)
早苗は目を閉じて、口を塞ぐように、イカ娘にキスをした。
それは、一瞬だった。
「チュッ」
今の早苗には、これが精一杯のキス。
ほんの1秒唇が触れ、すぐに離れた。
早苗が先に目を開き、それから少し経って、イカ娘もまぶたを上げた。
「…本当でゲソね。早苗のお口は、エビの味がしておいしいでゲソ」
イカ娘は上目遣いに早苗を見つめながら言った。
期待通りの味に、満足している様子だった。
(か、かわいい…っ!!)
早苗も感激だった。
が、キスの味そのものに関しては、本当のことを言うと決しておいしいとは思っていなかった。
自分のエビ臭についてではない。
イカ娘の口が、微妙にイカスミ臭かったのだ。
何しろ“生のイカ”なのだし、イカスミスパゲティを製造しているくらいなのだから、
少し生臭いのは無理もないのだろうが、いずれにしてもそのことは、早苗を少しもがっかりさせなかった。
現実を知れたことが、かえって嬉しいくらいだった。
「あ〜ん、もうイカちゃん大好き〜っ!!」
感極まった早苗は、いつもの調子でイカ娘に抱きつき、グニグニと頬ずりした。
「や、やめなイカっ…離すでゲソ〜!」
イカ娘は嫌がり、触手で早苗を突き飛ばすと、全速力で表のほうへ逃げていってしまった。
「あぁ、イカちゃん…行っちゃった…」
早苗は一人残された。
抱きつかなければ、あのままもう少しキスをさせてくれたかもしれない。
分かっていたが、抱きしめずにはいられなかった。
「…うふふふ」
けれども、後悔はなかった。
イカちゃんと初めてのチュウ。
とりあえず今日の早苗にはそれだけで十分だった。
(当面の間、おやつはかっぱえびせんにしよう…)
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