「ねぇねぇ、公麿ー」
「なんだ、真朱?」
「公麿ってさぁ、毛が薄いよねー」
「え゛?!」
「違う、頭じゃなくて、ここのこと」
目をクワッと見開いて頭頂部を押さえた公麿に、真朱は自分の手のひらを広げて見せた。
「公麿の手には毛が生えてないのに、どうして私には生えてるんだろ」
「それは…なんでだろうな」
真朱の手首から先と、太ももからつま先にかけては、短いフワフワとした体毛で覆われている。
頭には二本の長い角が生えているし、可愛い小さめの口には犬歯まで付いている。
要するに真朱のデザインは、“獣人”なのである。
「私も公麿みたいにキレイでスベスベの手がいいなぁ」
「別に、大してスベスベはしてないぞ…」
公麿は自分の手を『キレイ』と表現されることに抵抗を感じ、やんわりと否定してみせた。
なぜなら、それではまるで真朱の体毛が『汚い』みたいではないか。
「公麿は、私のこと、どう思う?本当はちょっと気持ち悪いとか思ってる?」
「そんなこと、思ってないよ」
あまり必死になって否定するのはなんとなく気恥ずかしくて、
公麿はごく普通の受け答えしかできなかった。
案の定、真朱は不満足そうに「え〜」と言った。
「あ〜あ。もうこんな毛、全部剃っちゃおうかな」
「剃る?そんなこと出来るのか?!っていうか、そんなことして平気なのか?!」
「んー?平気じゃないの?」
真朱は他人事のように首をかしげた。
「いやでも、剃るって言っても…」
真朱の体毛は指の間などにも隙間なく生えていて、カミソリなどではとても剃れそうにない。
「あ、でも脱毛クリームを使えば大丈夫かも…」
公麿が呟くと、真朱はその面白そうなアイテムの響きに目を輝かせた。
「何それ?だつもうクリームって、何?」
「あぁ、塗ると毛が抜けるクリームっていうのが、あるんだよ」
「へー!すごーい!じゃあ私、それ使いたいっ!」
「え…」
「カップ麺の代わりに、次は『だつもうクリーム』を買ってきてよっ!ね、公麿、お願いっ!」
「え、え〜っと…うん、分かった、用意する」
真朱におねだりされて、断るという選択肢は、公麿の中には無かった。
公麿は真朱のために、生まれて十九年間、
一度もお世話になったことのない脱毛クリームとやらを買いに行くことにした。
と言っても、いきなり女性用の商品を手に取るのは恥ずかしかったため、男用で妥協せざるを得なかった。
せめて、少しでも肌に優しそうなものをと選択した。
クリームとタオルをバックパックに入れ、公麿はハイヤーを呼び出した。
ディールがないのに金融街を訪れることは決して特別なことではないだろう。
しかし、自分のアセットと戯れるためにそうしている人間が、あの街に一体どれほどいるのだろうか。
少なくとも、「Qとデートしている」と公言する三國という男が一人、存在しているわけだが…。
(デート、ねぇ)
公麿は車内で、自分と真朱が他人からはどんなふうに見えているのだろうかと、そんなことを考えたりした。
金融街へ到着すると、なるべく人目に付かない場所を探した。
「なんで?それより、早くクリーム欲しいっ!」と急かす真朱に対し、
「まぁ、その…いろいろあんだよ」と公麿はごまかしながら、
とにかく場所を見つけると、バックパックからクリームを取り出した。
「おお〜、これかぁ〜」
真朱は興味深そうに容器を観察してから、さっそくクリームを塗りだした。
浮遊したまま、器用にバランスをとりながら、
ほっそりとした長い手足に、ペタペタと塗り広げてゆく。
「……」
その光景が、なんだか凝視してはいけないように思えて、
公麿は視線を逸らしながら、問いかけた。
「大丈夫そうか?肌とか、痛くなったりしない?」
「うん、平気だよ」
「そっか。良かった」
吟味して選んだつもりでも、万が一、
得体の知れない薬品で真朱の肌が傷ついてしまったらどうしよう、
と公麿は少し不安だったが、どうやら心配は必要ない様子だった。
クリームを塗り終えたらしばらくそのままにしておいて、
それからタオルで丁寧にふき取ってゆく。
すると…
「すっげーっ!超キレイになったっ!!」
「おぉぉ、すごいな」
真朱と公麿は一緒になって驚いた。
彼女の体毛はクリームと一緒に、全部すっきり取れてしまった。
もともと真朱の肌は色が白いが、現れた素肌はとりわけ白く美しかった。
「なんか自分の体じゃないみたい。指がスースーする。フフフ」
真朱は気分良さそうに手足の指を動かした。
「ねぇ、公麿も見てよ。ほら、すごいでしょ?」
「あ、ああ、さっきから見てるって」
そう答えながら、公麿はどぎまぎしていた。
なにしろ、彼女の脚の体毛は太もものかなり上のほうからつま先までを覆っていたので、
それが一気に無くなったのだから、肌の面積が倍以上に増えたわけで。
公麿の目には、真朱がまるで半裸のように見えていた。
「ま、まぁ、良かったな、真朱。それじゃあ、今日はこのへんで…」
このまま見ていても当分目が慣れることはなさそうなので、
公麿は早々に引き揚げようとしたが、
真朱はそんな公麿の言葉を遮って、
「あっちでディールやってるから、ちょっと見に行こうよっ」
と言い出す。
「いや、でも」
「え〜。せっかくキレイになったんだから、このままもう少し公麿と一緒にいたいよ」
真朱が思っていることを素直に言葉にすると、公麿は黙ってしまった。
悲しいことに、こういう台詞への耐性がほとんど無いのだ。
「どうしたの、公麿?」
「な、なんでもない」
「じゃ、行こっ」
「お、おう」
公麿は心の中で、「どうか三國さんには会いませんように…」と念仏のように唱えながら、
真朱と一緒に街をしばらく散策したのだった。
*
「疲れた…」
アパートへ戻ると、公麿はバッグを置いて座り込んだ。
全身を覆う疲労感は、“初デートの緊張”からきたらしい。
「今日はもう寝よう…」
手早く風呂に入り、着替えて、電気を消した。
それから公麿はテーブルの上に置いていたカードを手にした。
寝る前に、何となく真朱の姿を確認するのが、いつの間にか習慣のようになっていた。
もちろんそれは決していやらしい動機からではない。
けれども、今日は今までとは違い、艶かしい真朱の手足の様子が未だ目に焼きついていた。
公麿がカードを覗き込むと、真朱は黙々と腹筋運動に励んでいた。
が、その姿を見て公麿は大声をあげた。
「おおう?!」
中の彼女もびっくりし、こちらを向く。
「な、何?!」
「いや、何って、それ、真朱の手と足…!」
「ああ、これ?なんか分かんないけど、元に戻っちゃったの」
真朱は事も無げに言うと、せっせと腹筋を再開した。
アセットは怪我をしても短時間で治癒してしまう。
つまり、彼女の失われた体毛も、あっという間に“修復”されてしまったというわけだ。
「そうなんだ…」
公麿は一瞬、がっかりしたような変な気分になった。
けれども、いつも通りの彼女の姿を見て、やはり安心した。
「あ、あのさ、真朱」
「なーに?」
真朱は腹筋を続けながら答える。
「俺は…真朱のその毛、いいと思うよ…
なんつうか、グラデーションかかってて、キレイだと思う…」
「ホントに?!」
真朱はトレーニングをやめ、再びこちらを向いた。
「あ、ああ、本当に」
「ふ〜ん」
彼女は体毛に覆われた自らの手足に視線を移し、しばらくそれを見つめた。
そして顔を上げ、
「ありがと、公麿。嬉しいっ」
と言ってニッコリと笑った。
公麿はその笑顔に見とれてしまった。
そして、部屋の電気を消しておいて良かったと心の中で思った。
この暗闇でなければ隠しきれないほど、彼の顔は赤くなっていたのだ。
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